ぼくのゆめ

ぼくのゆめは、ひとりでくらすことです。

だれにもじゃまされずに、じぶんだけですみたいです。

ねるじかん、おきるじかん、ごはんのじかん、そうじのじかん、ゆっくりたのしむじかん、ほかにもいろいろあります。これをじぶんできめたいです。すべてじぶんのなっとくできるつごうだけのじかんをすごしたいです。

しょうじき、さしずされるのはきらいです。でも、ぼくはどんくさくて、いつもぼーっとしてるようにみられ、なにしてもおこらないので、いつもさっさとしろだの、かじぜんぶやれだのと、いわれます。むししてるのであまりおぼえてないですが、じんかくひていもつけくわえていわれます。

そもそも、ぼくなら、かじをさいしょうげんしかやらなくてすむように、いえのしくみそのものをかえます。ちゃんといえがさいていげんのはたらきかけでまわるように、つくります。くわしくは、ながくなるのでここにはかきません。

いいかえしたり、いけんをいわないのかとおもいますよね。いってもむだです。このいえでは。むしされるか、ぼくのいけんをききいれずにじぶんのいけんをべらべらはなされてそうするか、はなしをかえられておわりです。ぼくのたいせつな、じんせいにかかわるはなしだってそうです。ぼくにだってじんけんくらいあるはずです。ぼくのじんせいですから、じぶんのいきたいようにいきたいです。

こんなかんきょうは、ぼくなんか、ぼくなんか、っておもいがちです。でも、たくさんのいんたーねっとのひとたちをみていると、すべてのにんげんには、とくいなこともあるけど、にがてなこともぜったいあるんだというしんりにきづけます。これ、しゅごがでかすぎるきがしますけど、わりとみかたによってはそうだとおもいます。なので、ぼくなんか、っておもってるぶぶんは、べつにだいじではなかったりするとおもうのです。にんげんは、みたくないぶぶんはみないときいたので、ぼくのみているせかいがつごうよすぎるだけかもしれませんが。でもけんぽうにじんけんをほしょうするてきな、のがかいてあったきがするので、じんかくひていはぜんぶむししてます。ありがとうけんぽう。じんかくひていは「○○はら」っていわれるからってのもあります。というか、すこしまえまでのぼくは、ぼくなんか、も、じぶんにもじんけんがある、も、どちらもかんがえたことなかったです。むかんじょうです。どんかんすぎてしねます。

とにかく、じょうきのりゆうから、ぼくなんか、っていってるじかんがもったいないのです。ぼくなんか、っていってたらじぶんをじぶんでじんかくひていしてることになりそうです。

とはいえ、うつにはなります。こんなかんきょういますぐでていきたいです。ずっとしにたいしにたいっておもってます。ぼくのいけんをききいれないくせに、じぶんのいいようにしやがってます。あいても、じんせいいそがしいのはわかります。わるぎもないとおもいます。

だからこそ、いまのいえをでていって、ひとりでせいかつしたいのです。

いまのぼくは、とてもしにたいきもちでいっぱいです。なんかいわれたら、のうがかいひとかしてるのか、すぐにわすれますし、いえでていくからいいもん、とじぶんにいいきかせますし、さしずされてやってるときは、ずっとしにたいしにたいってことをかんがえてます。

とにかく、ぼくのせいかつとかかちかんにあわないひとといっしょにすみたくありません。からだがもうげんかいっていってます。

いっしょうけんめいうんでここまでそだててくれたことにはかんしゃしています。だから、いわれるままにしていました。

でも、からだがもたないっていってます。じぶんでいきていくことをまなびたいっていってます。

でていけばいいじゃまいか。っておもいますよね。きっと、ぼくのいけんをききいれてくれず、とどまるよううながし、そしてちがうはなしにかえられておわりです。

きめました。てがみかきます。これならぼくのでていくむねがつたわるはずです。これは、ちゃっとじーぴーてぃーさんにおしえてもらったほうほうです。これまでも、てがみなら、つたわりました。なので、かきます。

きりょくとかないけど、ぼくのためです。ぼくのからだのためです。これなら、きりょくでそうです。いままでいかにたにんのためになあなあにうごいてきたかわかります。ごほうびせいていもむりです。ぼくはもくてきがだいじたいぷです。

またきりょくなくなっちゃったらどうしましょう。つねになくなってますけど。そうですね、またこうしてぶろぐかいてなきます。ぼくがつらくなったとき、このぶろぐのことおもいだせますように。つらいとき、どこにもあうとぷっとせず、つらいのをのみこむのにただただきりょくをしょうひするのはもうやめにしたいです。

またあいましょうね。やかたさん。

ぼくより